9月以降のボランティア活動報告は『石巻ボランティア支援ベース絆』をご覧ください。9月1日?8月1日 | 7月31日?7月16日 | 7月15日?7月1日 | 6月30日?6月16日 | 6月15日?6月1日 |
5月31日?5月16日 | 5月15日?5月1日 | 4月30日?4月16日 | 4月15日?4月1日 | 3月31日?3月13日 |
2011年5月15日
2ヶ月振りに石巻に戻ってきました、若@信州事務局です。
今日は、これから活動する為に、何が必要なのかどのような支援がひつようなのか、
を確認する為に石巻各地を走り回りました。
先ずは炊き出しをしている湊中へ。
2ヶ月前に炊き出しを始めた武道場は、ヘドロの匂いもあり、
被災者の方々には申し訳ないと思っていましたが、
現在は、僕が土足でいいの?と思ってしまうほど、床は綺麗になっていて
炊き出し以外にも図書館やマッサージ、炊き出しするのもとっても便利な設備が整っていました。
僕は、見た途端、涙が出そうな位に感動しました。
そして、しばらく武道場の様子を見ていると、
「お前、来るの遅かったじゃないか」と男の人に怒られました。
その声は白髭の橋本さん。
湊小で炊き出しをしていた時から来てくれていた被災者。
でも、その目は笑っていました。
久しぶりの再会。
嬉しい気持ち半分、反面、今でも炊き出しや支援を必要としている現状。
湊中の武道場が、武道をする場所へ戻す為にやるべき事はまだまだです。
その後、牡鹿半島で漁業支援を行なっている現場を見に行きました。
牡鹿半島、僕は今回が初めてだったですが、ここは見るからに支援の手がまだまだ必要。
入江にある一つ一つの集落のほぼ全ての機能を津波で失っていたままでした。
そして、そこにある家屋、漁具、船、湾設備はまだまだ片付けが必要な状態。
人、車、道具、重機、全てが足りていません。
まだまだ、ボランティア一人一人の力が必要です。
皆さん、一日でもいいから、駆けつけて下さい。
まずは現地を感じる事が大事なんです。
お昼すぎに、また湊中へ戻って来ました。
明日から湊中で店長をする為の引継ぎと作戦会議です。
現在のスタイルで満足する事なく、何が復興に向けて大事な事か、
常に我々が考えておかなければいけません。
作戦会議の傍、
ニューヨークのアーティスト”Anne”さんが創った、長さが18mもある絵を壁に飾りました。
津波の泥で汚れた壁が、生まれ変りました。
若 23:30
【関連サイト】
有人 photoレポート [5月15日]
23:59
【関連サイト】
mob@KeviKevi [5/15]
2011年5月14日
カヌーを積んだ車が、石巻を目指して、向かって来ている、目撃情報が入ってきました。
カヌーな活躍を期待しております!!
とーる 6:58
本日は、予てより告知していた「カヌーで清掃Day」でした。
告知時刻の朝8:30、集まっていただいたのは・・・あれ?これだけ??
明らかに広報担当の私の力不足でございます。
当初予定していた狐崎港は風が強く作業が困難なだったため、
先日まで入っていた竹浜の漁港の漁具回収を行うことになりました。
竹浜に行ってみると、なんと、例のコンテナが上がっている!重機チーム凄い。
そんな中、作業が開始になり、カヌーイストの皆がカヌーで漁具に向かって突き進んで行きました。
先日一人で作業をしていた時は、あまりのブイの多さに先が見えない感じでしたが、
人が集まると作業が進むー。午前中の作業が終わる頃には5個のブイを残すのみ。
さすがにカヌーのスペシャリスト達。
今回のカヌー清掃に合わせて、炊き出しも行いました。
こちらの地区には、炊き出しがずーっと来ていない、という地域の方の声を受け、
炊き出しチームがバーベキューを行いました。地域の方々の笑顔に、我々も一緒にBig Smileです。
更に平行して、昨日のお宅の片付けも行いました。
今日は裏手の整理と蔵の中の片付けです。こちらも一日丸々かけて、大方きれいに。
少しでもご家族の新しい出発のお手伝いをできていたら嬉しいです。
【関連サイト】
有人 photoレポート [5月14日]
23:59
2011年5月13日
カヌー隊、本日は昨日から入っている狐崎の港に近い個人宅の片付けをさせていただきました。
こちらのお宅は津波で二階まで浸水したお宅で、既に家屋の取り壊しを決めていらっしゃいます。
ご家族全員ご無事だったのが不幸中の幸いです。
初めて個人宅の片付けのお手伝いをさせていただきましたが、とても感じるものがありました。
被災で様々なものを失い、ショックや悲しみは途方もなく大きいはずですが、時間の経過と共にいろいろなものを捨てて前に進んでいく・・・。そんな、とても象徴的な行為。その一端を我々がお手伝いさせていただいています。
取り壊しが決まっている家の中は、我々の作業後はこんな感じ。
あらゆるものを捨てて良いというお母さんが、娘さんのノートや絵を、どんなに泥だらけでも、
大事にとっておいているのが印象的でした。
今日は、こちらの現場に、我らが炊き出し隊が出張サービスで来てくれました。豪勢な昼食、嬉しいですー。
ちん 20:30
こんばんは。カエコです。はじめての参加です。
今回リラクゼーションチームに入り、マッサージをしながら数ヶ所の避難所をまわりました。
ボランティアでマッサージをするのは初めての経験で、どのように接すればいいのか、どんな風に感じるのか自分でも想像できませんでしたが、とにかく心を込めて丁寧にマッサージしよう、温かい手のぬくもりを感じてもらえるだけでもいいという気持ちで現地に向かいました。
実際には自分で予想していた以上にたくさんの人たちと触れ合うことができましたが、
みんな身体はコチコチ…当然ですが疲れが溜まっていますし何も言わなくてもどこか心の奥が張り詰めているのを感じました。
そんな中ゆっくりと身体に触らせていただき、最後「ありがとうございました」と言った後、
「実はね…」とあの日何があったのかポツポツと話し出してくれる方も多く、耳を傾けることしかできませんでしたが、
少しだけ心を緩める機会になったのであれば本当に嬉しいと思います。
今朝、日和山公園の上から海を臨みました。
その様子を目の当たりにして一緒に行ったマリコとふたり静かに手を合わせてから最初の避難所に向かいました。
今回3日間と短い期間でしたが、長く続けるためには何が必要なのか、自分に何ができるのか…ずっと考えていました。
まずは今回の経験を自分の周りに伝えていくことから始めます。そしてさらに輪を広げていきたい。
最後に、今回ここに私を導いてくれた友人と、一緒に活動させていただいた「南境生活センター」の方たちに感謝します。
その素晴らしい心意気にと明るさに感動しました。ありがとうございました。また帰ってきます!
カエコ 22:27pm
【関連サイト】
有人 photoレポート [5月13日]
23:53
【関連サイト】
mob@KeviKevi [5/13]
2011年5月12日
1ヶ月ぶりに帰ってきました。
道が奇麗です。
アスファルトが見えています。
国道沿いの店も再開していて
なんだかうれしい光景が目に入ってきました。
今日は昼過ぎに石巻に到着し、
狐崎港の掃除をしました。
流木にロープにホタテの貝殻などなどを分別して集めました。
途中 サルベージ船「復興丸」を
くろさん、がってんとともに操船しました。
掃除の後
出発前にリクエストをもらって用意したコンプレッサーを
小網倉浜の漁師さんに届けました。
電気が復旧し、車や自転車の修理など
自分たちの手で取り組んでいるとのこと
ピンポイントのリクエストにこたえることができて良かった
さあ明日はみなと食堂にベーグルと六甲山コーヒーを届けにい
きます!!
あさやん 20:45
こんにちは、アンです。
約3週間前にニューヨークから日本に来て、昨日石巻に来ました(母親は日本人で、両親は日光に住んでいます)。
地震が起こったとき、アメリカのニュースで津波の映像を見て、その光景が信じられませんでした。
アメリカという遠い場所にいて、初めは私にできることは何もないと思いましたが、
その後、友達(70人以上。ほとんどがニューヨークのアーティスト)とある日集まって、
被災者の方々に向けて絵を描きメッセージを書くことを考えました。日本に来たことがない友達たちも、
地震のことについて人と人のつながりを感じ、なにかしたいと思ったようです。
そのとき、私自身は日本に来る予定はあったけれど、その絵をどこに持っていくかは考えていませんでした。
今回、その絵をここ石巻に持ってきました。
ニューヨークより、縦1m横18mの絵。
http://kagayaki.drawingforjapan.org/
こちらに、その絵を描いている様子がアップされています。
http://kagayake.drawingforjapan.org/about
被災地に行きたいと両親の知り合いに言ったところ、ここに来たことのあるマリコと連絡がとれて石巻に来ました。
今日、私は炊き出しの手伝いをして、たくさんの炊き出し仲間に会って(そのなかには避難所に暮らしている、津波で兄を亡くした若い女性もいて)、この経験によりどんな遠くにいても近くにいる人でも、誰でも何かをすることができると気付きました。
そして今日、ニューヨークの仲間たちからネットを通じて集めたお金の一部を、ここに寄付しました。
福島など他の地域にも寄付しています。
実際石巻に来ると、地震の被害による悲しみを感じるとともに、短い期間でここまで復興されていることに希望も感じ、
2つの面があるように思います。石巻の街が元に戻ったとしても、被災した人たちは何かしらの助けを必要とするのではないかと思います。ニューヨークに帰って、それをたくさんの人たちに伝えたいと思います。
アン pm22:26
【関連サイト】
有人 photoレポート [5月12日]
23:17
2011年5月11日
こんばんは。先月も活動していたマリコです。戻ってきました!
今回はブロードウェイ食堂を手伝いながら、引き続きアロママッサージをしています。
3週間ぶりの石巻はずいぶん活気付いていて、高校生たちが自転車で通学する姿を見ると少しずつ復興していることを実感しました。
今日のブロードウェイ食堂のメニューは豚汁。最後の味付けのときに、
手伝ってくれたお母さんが「酒かすを入れたらおいしいんだよ」とアドバイスをくれ、おいしさが格段にアップ。
おかわりする人が続出でした。被災者の方は「ボランティアさんには助けられてばかり」と言いますが、私たちのほうも被災者の方に助けられています。
避難所の統廃合で、自宅避難を余儀なくされている方が増えています。
ブロードウェイ食堂の小学校も避難数は180名になっていますが、それ以外で(自宅で生活されている方に向けて)炊き出しが500食になっています。炊き出しの場所が減り、炊き出し難民が増えているのが現状です。
午後は宮古島から届いた魚とともに、中央公民館へ。
あまりに大きな魚(ロウニンアジ、青ブダイ、シュビマグロ)にあわてふためいた私たちでしたが、さすが石巻の方々、
出刃包丁片手に慣れた手つきであっという間にさばかれていました。
「生の魚を見るのは久しぶり!」と、喜ばれ、いつもより賑やかな調理室。
のぞきに来る方々も、鍋のなかを見るとテンションが高くなっていたような…。
初めて男性もお手伝いに来てくれて、盛り上がりました。メニューも料理も手伝いに来てくれたお母さん方におまかせし、
できあがったのはアラで出しを取った魚の味噌汁(本当は刺身で食べるとおいしい魚らしいですが、量的なことを考えて汁物になりました)。とてもおいしそうでした。
中央公民館でアロママッサージをしていると、おばあさん達に「震災は悪いことばかりじゃないなぁ」と言っていただき、
心身ともにリラックスしてもらえたかなと思います。
残り3日間も、同じように言っていただけるような内容でしっかり活動していきたいと思います。
そして今日は震災から2カ月後の5月11日。
午後2時46分にラジオから流れるアナウンスに合わせて、1分間黙祷しました。長かったようで短かったような2カ月。
たまたま4月11日にも石巻にいたのですが、これから毎月11日には石巻のことを思い出すかもしれません。
※ そしてBIGニュース!なんと仙台⇒東京行の新幹線が、5月14日?6月13日まで半額の5000円になるそうです。
岩手の新花巻や盛岡駅から東京間でもほぼ半額。ボランティアに来やすくなりそうです。
今日は少し人が増えましたが、来週からはまたボランティアが足りません。皆さん、ぜひ東北に来てください!
マリコ pm20:23
カヌー隊、今日からわっかチームが合流で、僕を除いて一気に豪華なメンバーになりました。
そのわっかチームが最前線に立ち、朝から昨日のトラックのコンテナです。
相変わらず海の力は凄く、昨日から放置プレイだったヤツは、朝の満潮時には目の前に。
これは楽勝か?早々に重機隊も集結し、潮が高いうちに作業を進めます。
島根からきたボランティアさん達にも手伝ってもらい、全員の努力が一つになった時、
終に、コンテナの端が上に乗った!
しかし、ここから相手がかなり手強い。コンテナが自重に耐えられず、ロープを掛けた箇所がどんどん壊れていってしまう・・・。
結局ここまでで、今日は終了です。明日の朝の満潮を待って、再度オペレーションを再開します。
その後、材木があらかた片付いた湾内で、漁具回収作業を行いました。
複雑にロープで絡みあった漁具(定置網用のブイ?)を一つ一つ切り離し、岸まで運びます。
相当な量のブイがありますが、一つ一つ片付けていけば、いつか港はきれいになります!
ちん 21:30
【関連サイト】
有人 photoレポート [5月11日]
23:45
2011年5月10日
カヌー隊、本日も引き続き牡鹿半島の竹浜というところで材木等の撤去作業です。
今日のターゲットは銀色に光るアイツ、トラックのコンテナです。
昨日は目と鼻の先に浮かんでいたヤツは、たった一晩で沈船と合体してしまいました。
カヌー隊が行ってロープをかけ、ユニックで引っ張りますが。。。動かん。。。
次の作戦は、コンテナの上部に穴を開けてロープを通しそれを引っ張ることに。
ユニックの運転手、男・白石さんがコンテナの上に上がっての作業です。
カヌー隊は白石さんをコンテナまで送り届け、陰ながら作業をサポート。
自分で乗り込んで穴を開けられたらかカッコ良かったのですが。2本のロープを通し、ユニックとフォークリフトで引っ張りますが、なんと、コンテナ本体が破断、また失敗。。。
最後はとーるさんが出動し、材木を鉤にしてコンテナの内部に入れ込んで引っ張ることに。
ところが、何と今度はロープが切れ、うまくいかず。。。(済みません、とーるさんの勇姿の写真がないです)
島根県からボランティアの方々が来てくれていました。
同様の状況にある周辺の現場を、カヌーで奇麗にしよう作戦を今週末、金・土・日曜日で展開します!
カヌーイストの方々、自艇持参で是非!
ちん pm22:15
また戻ってきました?、フォトグラファーの有人です。
3週間ぶりの石巻はお店やレストランの一部が営業を再開していたりして、
確実に日常が戻ってきている姿を見て少し安心しました。
しかし、同時に道一本中に入った住宅街や海側の地区はまだまだ多くの作業を必要としていて、
今回の被害の深刻さを再認識しています。
前回ずっと炊き出しを担当していた大街道小学校に戻ってみると、
仲良くなった避難所の方や子供たちから「おぉ!戻って来たのか。おかえり?!」と声をかけられたのがとても嬉しく、
またここでみんなと一緒に働けることが楽しみです。
【関連サイト】
有人 photoレポート [5月9日] [5月10日]
23:29
昨日、到着したレイコです。
石巻は思ったよりも暖かく、新緑の季節を迎えています!田植えの準備か、水を張った田んぼも見られます。
朝、被害を受けている海沿いの地域を通ったら、テレビで見るより現実的で涙が出ました。
人が入れるところでもガレキの山があり、ここに住んでいる人達は、ずっとこの状況と付き合っていかなくてはいけないのかなぁとひとりでショックを受けました。
初めての炊き出しは料理というよりは内職のような(?)大量に皮を剥いたり、切ったりする作業があり、
料理が得意じゃない私でも役にたったかなと思います。あっという間に時間が経って、充実していました。
ボランティアは、思ったよりも構えなくてできるものだなぁと思いました。
ブロードウェイ食堂の小学校では、これまで駐車場になっていた運動場が遊び場に戻り、サッカーをしている子供たちがたくさん。
オザザさんがつけた鯉のぼりも「鯉のぼりジャンプ」という遊びが編み出されたようで、子供たちが集まっていました。
そして、宮古島から魚が届きました!(石巻にも2回来ていた上野商会の下地さんが送ってくれました)シャコ貝と青ブダイ、シュビマグロ、そしてロウニンアジ。初めて見る青ブダイの色に驚きました。魚は明日、中央公民館に持っていきます。公民館に避難されている方々が、煮付けやあら汁が食べたいとよく言っているので、喜ばれると思います。
レイコ 23:46
2011年5月9日
本日は、昨日に引き続き牡鹿半島の漁港で、カヌーを使い丸太や材木の撤去を行いました。
現場に行く途中湊中学に寄ると、約 1.5ヶ月前に手伝いに来た時に比べると格段に奇麗に!
前回はあまりの惨状に、どこから手を付けて良いかもわからない状態だったけど、
少しでも何かをすれば前進すると信じて作業をしたその形が目の前にあった。人の力って凄い。
作業のモチベーションが上がります。
さて、カヌー。僕は暫く遠ざかっていたのですが、まさかこんなところで漕ぐことになろうとは。
バウにカミを乗せ、思うように進まないカヌーを操りながら、木材やゴミを集めては岸まで運びます。
とーるさんのようにはいかないですが、少しは力になれたでしょうか。
作業が終わった後の湾内は見違えるほど奇麗に。
でもまだトラックは浮かんでいるし、家の残骸が水の中に沈んでいます。
こんな状況のなか、本日、なぜかこんなにカヌーを漕ぐのが下手な人間が、とーるさんからカヌー隊長を拝命しました。
これも人がいないが故の苦渋の選択か。カヌーの腕に覚えのある皆様、今こそその貴重な技術を生かす時です!
他にもこんな様子の港が多数あるようです。
少しでももとの奇麗な漁港に戻れるよう、少しでも再生の力になれれば良いな、
と思う今日この頃です。
ちん pm22:25
石巻では、山桜が咲いています。昨日は突風が吹きましたが、今日はポカポカ日和。
炊き出しに来てくれたマリコさんは、支援活動の一環としてヨガマットケースを作っているらしく、
その余りの布で腕抜きを作ったそうです。というわけで、今日のブロードウェイ食堂の女子ユニフォームは
腕抜きになりました。作業しやすくて便利です。
そして人手不足のため、山形から来た美容師さん&整体チームが急きょヘルプに入ってくれました。
その後、地元の方がたが5人来てくれたので、美容師さんは体育館でカットをスタート。
みなさん1人で10人ほどカットしたそうです。
途中、料理しているのがほとんど地元の方という状況でしたが、
困ったときには助けてくれる人が出てきてくれるものだなぁと思いました
(このページを見て来てくれたボランティアや、ホウレンソウを持って来てくれた人もいました!ありがとうございます)。
前に何度か手伝ってくれた、アジア料理屋さんを開いていた人が通りかかったので、味付けをお願いしておいしいポトフになりました。
12:00から配り始めるところ、11:30から行列ができるという新記録でとまどいましたが、
明日は頼もしい3人のメンバーが来てくれるので、少し安心です。
ただ、野菜がまた少なくなってきていて、種類も少ないので、日々メニューに変化をつけるのが難しくなっています。
今、ストックしているのは4種類ほどだけ。
野菜はなんでも大募集です!
今日は、初めてブロードウェイ食堂の小学校でチャイムの音を聞きました。
小学校らしい感じがして、少しずつ日常に戻っていっているように思いました。
かえ 23:05
2011年5月8日
今まで、カヌーは車の上やテーブルになったりしていましたが、
本日、災害直後の人命救助以来、はじめてカヌーを水に浮かべました。
漁港の中に落ちた家の撤去、貯木場から流出した丸太の大木や流木、
大きな漁業用のブイ等の搬出等を致しました。
船外機付きの船だとスクリューにロープ・網等が絡まってしまう為、
【カヌー】が大活躍いたします!
地元の漁師さんが、元気に魚を取って早くみんなの口に入れられるように頑張っています!
『カヌーイストのみんな、カヌーを持って集まれ!!』
5月いっぱいは船を出さないで、漁港内に浮かんだ、漁具や浮遊物の回収・撤去をするそうです。
『みんなの力を貸して下さい!!』
そして・・・、
海の神様が、僕達の目の前に『木彫りのカヌー』と出逢わせてくれましたよ!!
とーる pm20:32
昨日初めて来てくれたお母さんが、また手伝いに来てくれました。
石巻駅の近くに住んでいるそうですが(歩けば15分くらい)、わざわざ足を運んでくれたよう。
別の炊き出し場所や中華料理屋のおかみさんから、「ブロードウェイ食堂はおいしい!」という噂を聞いたそうです。
料理長が帰ったので不安いっぱいな私たちですが、評判を落とさないようにがんばりたいと思いつつ、
地元のお店も再開してきたので営業のじゃまにならないようにと少し複雑な気持ちもあります。
でも、家の片付けで疲れきっているという人や、車が流されて買い物が不便という人も多いので、
少しでも元気になってもらえればと思います。この小学校の少し先は、住んではいけない地域と言われ、
家の改築もできないし移る先も決まらないしで今後の不安が大きいようです。
今日のメニューは溶き卵とウズラの卵を入れた「ダブル卵の中華スープ」。
地元のお母さん方にアドバイスをいただきつつ、完成。「今日もおいしかったよ」と声をかけてもらえ、ほっとしました。
「あのヒゲの人(オザザさん)はいないの?」と何度も聞かれました。朝は7人で出発したブロードウェイチームも、
昼で帰る人が多かったので、戻るときには2人…。本当に人が少なくなってしまったのですが、地元の方が心配してくれて手伝いに来てくれるのはありがたいです。
調理途中に地元の方3人から差し入れを頂きました。栄養ドリンクと黒糖ケーキと炊き込みご飯のおにぎり。
どれもありがたくいただきました。地元の方が、もっと関わってくれるようになればと思います。
そして母の日だったので、公民館や避難所など各所でカーネーションを見かけました。
ボランティアが届けてくれたそうです。私たちも料理とともに、ささやかな花のデリバリー。
石巻のお母さん方が、今日、いい時間を過ごせていればいいなぁと思います。
モモコ pm 21:21
みんなが旅立ちました。明日は湊食堂もブロードウェイ食堂も、人数が半減。
どこかでメンバーをスカウトしようという話も出ています。
大豆の肉のから揚げを作る気満々だったのに、人手不足で泣く泣く諦めました。
湊食堂、今日のメニューは、おでんとツナサラダ。大学生が味をつけてくれました。
でも彼らも本日旅立ちました。お疲れさま!
長期メンバーもそろそろ旅立ちの時期を迎えているので、新しく来てくれる方、お待ちしております!!
ケイ pm 21:58
2011年5月7日
今日は1カ月もの間ブロードウェイ食堂で料理長をしてくれたオザザさんと、影の料理長チヅルさんの最終日。
和歌山から届いたサンマを焼き、すいとんを作り、いつもより手の込んだ料理になりました。このサンマ、
宮城でとれたものがオザザさんの地元・和歌山で灰干しにされ、また支援物として宮城に帰ってきたものです。
焼いているいい香りに誘われてか、12時前から長蛇の列。
よく来てくれるお母さん姉妹に加え、あまりのサンマの量とすいとんの量を見かねたのか、近くにいた方々も
手伝ってくれて、賑やかな調理になりました。
「焼き魚は久しぶり!」とすごく喜ばれ、250枚ほどの灰干しサンマ(半分にして配ったので約500人分)
は大盛況で完売。いい香りといい笑顔を運んでくれました。
夜、この小学校の近くのご家庭におじゃましたのですが、この辺りの方々は150cmほど水に浸かったため、
2階で生活されています。水と電気は来ているけれど、お風呂は入れないので温泉にいったり、ガスはきて
ないのでカセットコンロで調理したり。
震災直後に小学校に避難したときは、一人がパンを4分の1枚しか食べられなかったことや、1300人が
避難してきたので立って寝たことなどを話してくれました。
それでも「震災があって、みんな協力し合い、人がより好きになった」「地震直後は苦労したけど、そこに踏み
とどまらずに動き出してるから、苦労と思わないよ。いいほうに進まないと」という風におっしゃっていました。
この家には、知り合いや息子さんの友人たちまで訪ねてくるのですが、被害の大きかった地域を案内したり、
数時間でも炊き出しの手伝いに連れて来たりして、震災の様子を伝えているようです。
いろいろな人を連れてきてくれて、とても助かっています。震災がなければ出会ってない方々ですが、
ともに話したり、ご飯を食べたり、今後も連絡を取り続けられるような人たちに出会え、私たちもより石巻に
親しみを感じています。そして、数ヶ月後か数年後、元気になった石巻や別の場所で、ここで出会った人たちと
再会できればいいなぁと思います。
*そして、炊き出しもその他チームも、連休後に人が激減してピンチです!なにかしたいという方、
女性も男性も大歓迎なので、ぜひこちらに足を運んでください。短期間でも、もちろん長期でも、
できることはたくさんあるし、逆に教わることもたくさんあると思います。
ブロードウェイ食堂も、店長、料理長、料理が苦手な方まで、どなたでも大歓迎です。
かえpm23:55
2011年5月6日
ブロードウェイ食堂、本日のメニューはたっぷり野菜とキノコの麻婆スープでした。
大量の野菜カットは毎度みんなで必死ですが、行列が出来て、美味しいと言って食べていただいている姿を
見ると、疲れが吹き飛びます。その場でお椀を使って食べ、お皿を洗って戻してくれる人も増えました。
コーヒーも好評のようで、楽しみにしてくれている人もいるようです。
そして今日は愛媛から、ステキな親子に育てられた完全無農薬の甘夏もたくさん届きました
(3tトラック山盛り!)。大切に育てられた甘夏たちが、次々愛おしげに連れて行かれる光景は、
見ていてとても微笑ましかったです。
この大量の甘夏も30分後には空っぽ。生野菜や果物がとても喜ばれています。
この男の子はミカンとキュウリが大好きで、甘夏満載トラックに乗ると、とても嬉しそうでした。
「10個食べる!」
ポケットにも甘夏。
中央公民館では、避難しているお母さん達と一緒に豆腐の味噌汁を作りました。
調理の途中で、手伝ってくれていたお母さんに、娘さんから母の日のお花のプレゼントが届き、
ちょうど職員の方も加わり被災時の惨状や、現状の過酷さについて聞いていたところだったので、
この状況で母を思いやれる娘さんの姿に、自分だったらそんな風にできるだろうか?と感心しつつ、
その場に立ち会うことが出来てとっても幸いでした。
今日の味噌汁は、このお母さんの味付け。醤油を少し足らした、家庭の味でした。
モモコ pm 19:40
2011年5月5日
今日は、この数週間地域の方と自分達、各団体が丹精を込めて準備してきた、渡波でお祭りの日でした。
お祭りではたくさんの団体が関わり、様々な屋台のおいしい食べ物が?たい焼き、から揚げ、焼き鳥、
おしるこ、おでん…人々の胃袋と心を満たし、どの顔を幸せいっぱいの表情でした。手作りで準備した、
玉入れや、輪投げのゲームを延々と何回も並んで繰り返しチャレンジしてくれた子供たちの姿、それを
見守る大人たちの表情は、本当に笑顔にあふれていました。他、足湯や、青空美容室、法律相談、
ライブ、等々、楽しさ、安らぎあふれる企画となりました。
タイヤキ
ライブペイント
青空美容室
祭りリーダーのひーささんに聞いてみると…
「神社があるのは電気、ガス、水道もない地域。震災後は歩いている人もいなかった。初めは神社の境内の
掃除から始まったつながりで…帰るのが怖かったという人も、掃除する人がいることで帰りやすくなる。
4月後半に来て掃除をしていたら、だんだん人が増えてきて、延べ1000人ほどが関わってくれた。
今年は開催するかどうか宮司も迷っていたけれど、地元の人を元気づけたいということで開催することになった。
祭りはイベントでもなく…何かしたい人としてほしい人の「間を吊る」ことだと思う。魚を釣る人は
魚を奉納したり、農家は米を奉納したり、持ち寄るもの。震災も似ていると思う。大工が出来る人は
大工仕事をし、体力がある人は泥だしをして。今日はたぶん2000人くらい地元の人が来ていたと思う。
中心になった誰かがいるわけではなく、みんなで行なったのが良かった。
宮司さんは、今回の祭りの形はそのまま残して、今後神社で物資を配ったりプレハブの集会場を建てたりしたいそう。
来年の5月5日は、ぜひ見に来てよ?と言われたよ」
みんなでお祭り準備
最後に、実施者一同、始まりと考えて企画を作ってきました。今回の企画を通して、始まりの種を蒔けたならば、
何よりです。そしてきっと蒔けたと信じております。
一年後のお祭りが既に楽しみになっている、まさかず でした。
まさかず pm 23:15
2011年5月4日
GW中の今はたくさんいるボランティアも明日から7日にかけて多くが帰ってしまいます。
私たちブロードウェイ食堂も湊食堂も、それ以降は人不足の危機です…。
他の活動もきっと同じ状況なので、連休以降に時間のある方、ぜひ来てください!!
かえ pm20:35
今日はたくさん人がいたので、時間をもらって他の炊き出しの見学に行ってきました。
まずは湊食堂へ。その場で食べている人がほとんどで、テーブルには花が飾られ、カフェのような雰囲気。
片隅では物資が配られたり、歯医者さんが治療していたり、ここに来ればご飯を食べつついろいろな情報が
得られそうです。そして、3週間ほど前に見たのとは全く違う学校の様子に驚きました。
運動場がきれいに片付けられていて、マンパワーのすごさを感じました。
続いて、昨日報告を書いてくれたアキラさん達の炊き出し場所「牛角の駐車場」へ。
こちらのメニューはカレースープとご飯、コールスローサラダ。
そして通りかかった湊小学校ものぞいてみました。こちらはパキスタンの人がパキスタンカレーを
炊き出しで出していると聞いたのですが、この2日間はお休みだったようで、自衛隊さんだけでした。
おじちゃんに話しかけると「毎日カレーだよ、味は違うけど。いつもは自衛隊と並んで配ってるよ」とのこと。
チャイのサービスもあるそうです。ここも食べるスペースがあり、物資も配られていて、ちょっとゆったり
できそうな空間でした。運動場にはテントの銭湯(温泉?)もありました。
続いて駅前の広場へ。こちらはアウトドアつながりの団体さんの炊き出しで、メニューは卵丼。
広場の階段に座り、おじいちゃん達が話しながら食べていました。そのお隣には、コーヒー屋さんも。
聞くと、同じ宮城の「くりこま」からいらっしゃったそうで。「私たちも3年前の地震でいろんな人に助けら
れたから、そのお礼にと思って」山から水を汲んできて、ドリップコーヒーを配っていました。
どの炊き出し場も個性がありますが、それぞれ工夫して、避難されている方や家の片付けがたいへんな方々に、
おいしいものを食べてホッとして欲しいという心がこもっているなぁと思いました。
かえ pm20:05
続きまして、湊食堂にて炊き出し部隊に配属中のひよりです。本日も皆さんに“ほっこり”とした時間を
過ごして頂きました。そして毎日提供していたデリバリーは、本日で自衛隊の撤退あわせて最終日を迎え
ましたが、いつも通りの賑わいで、遠方からもご家族の分も一緒にと5,6食まとめて持って帰られる方も
多いのが現状でした。明日からは湊食堂のみの提供になります。食事に困らないような現状を皆で作って
いかないといけないと感じました。
その後、牡鹿半島近くのお寺の避難所で行なわれたお祭りに参加させて頂きました。宮城県出身の歌手に
よるライブや南米地方の踊りのパフォーマンスがおこなわれ、ご高齢の方々も今日ばかりはと、太鼓の音に
あわせ踊ったり歌ったり最高にステキな笑顔を私たちにプレゼントしてくださいました。
この地域には毎回支援物資が届くそうですが、それでも毎日毎食、温かいものを口にすることはできません。
一人ひとりが最大の努力をし、皆のことを思い、命の尊さと向き合いながら、今後もこの土地で生活を継続されます。
あるおじさんは「今までどんな恵まれた生活をしてても、地位があっても、貧乏暇ナシでも、津波被害で
家も家族も流されたら、全てがリセットされるって事がこんなにも身近に感じたことはなかった。まさか自分が
なんて思わなかった。でも、明日からの生活を一日でも早く取り戻せるよう、皆が精一杯がんばりたいと思ってる。
こうやって若い子たちが自分たちのために動いてくれてることが、こんなにも幸せと感じることはない。 本当に
ありがとう」と話されました。
震災の日から本当に少しずつですが、石巻は確実に前進しています。エネルギーに満ち溢れた空間が広がっています。
だから、皆でこのエネルギーを継続し続けたいと思います。
ひより pm 22:06
2011年5月3日
毎日、1500食位の炊き出しに応援チームが合流して
本日の炊き出し:2260食を予定
食材の調達が、やや不安です。
とーる AM8:16
アウトドアライターの鈴木アキラです。今回は八重洲出版オートキャンパー編集部の市川智史くんと
一緒に参加。昨日は牡鹿半島の小渕浜で漁具の回収。ガレキの撤去をしたり、徳大サイズの浮きや
イカリを片付けたりの作業でした。現場はクギの出た材木が散乱し、仲間の1人が踏み抜いてしまう
こともありました。みんな熱中してしまうと足元をみなくなるからね。
「ゆっくり、安全に、確実に」がボランティアの基本かも。
牡鹿半島の先の方は報道されていない地域で復旧の手もまだまだ伸びていません。
報道されている地域には物資も人も入りますが、報道されていない地域には目がむけられていない現状が
あります。物資の余っている市街地の状況が報道されると石巻全体が物資が余っているように受け取られ
てしまう。報道の偏りによる復旧の偏りを強く感じてしまいます。物資も人の手も全然足りてなんかいません。
今日は一転、石巻市街にある石巻中学で炊き出しをしました。
石巻中学は丘の上にあり直接の被害は受けていませんが、すぐ下の町はメチャクチャでそこの人達が
300人以上体育館で避難生活を送っています。今日はそこで牛丼400食の炊き出しでした。
最近になってやっと温かいお弁当が配られるようになったと言っており、温かい手作りのご飯が本当に喜ばれました。
それとウケたのはコーヒー。「ちゃんとドリップで淹れたコーヒーなんて被災後はじめて」という方ばかりでした。
紙コップではなく陶器のマグカップでお出ししたのも良かったみたい。そりゃあ、そうだよね。
コーヒーはスターバックスの銀座マロニエ通り店でいただいたもの。前回石巻入りした時に大量のコーヒーを
パーコレーター用に挽いてもらい「キャンプですか?」「いえ、石巻に行くんです」「ちょっと、待ってて。
石巻で亡くなった仲間もいるし、自分は行けないからコレ持って行ってください!」と大量にいただいたもの。
後日お礼に写真を持っていった時に「個人判断であんなにもらって平気でしたか? 叱られませんでしたか」
「いいえ、逆に褒められました」というやりとりがあったことも記しておきたい。
そして今回はMLA(豪州食肉家畜生産者事業団)の協力を得て大量のオージービーフと豚肉を持っての参加となり、
これも中長期的に支援がいただけることになっている。佐藤勝昭さん、ありがとうございます。
これからもよろしくお願いしますね。
渋谷の沖縄料理屋「しまぶくろ」ではボランティア中間報告会に多くの人が来てくれて支援金もいただき、
それがオージービーフを購入する基本金となっていることも述べておきたい。うちの近所の江口薬局からは
大量のマスクと消毒用アルコールをいただいている。みんなの温かい気持ちが石巻にどんどん広がっていますよ。
明日も炊き出し頑張るゾ!
鈴木アキラ pm20:55
2011年5月2日
ブロードウェイ食堂のモモコです。はじめまして。。。
今日は準備開始早々、いつもお手伝いしてくださるお母さん姉妹が今日は手伝えないのでと、
わざわざ息子さんを代わりに連れて来てくださり、大人数でワイワイ、
具沢山のコーンスープと、キュウリとトマトたっぷりのツナサラダを作りました。
いつも来てくださる方は、「初めてのメニューだぁ?」と言って喜んでくれていた
ようでした。
公民館では、昨日自転車修理で大活躍したヨシクニさんを中心にスイトン汁づくり。
みんなで味見を重ね、視察に来た別の炊出しチームも加わって、スプーンを巧みに駆使し
大量のスイトンを鍋へ。。
味見が止められなくなるくらい美味しいスイトンが出来ましたョ!
ここに来てから毎日、日本中から集まった色々な人達との出会いを与えてもらっています。
被災地を復興させることを切欠に集まったそれぞれが、それぞれの日常に戻っていっても、
東北を、日本をより良く変えていく開拓者になって繋がっていられそうな、
とにかく、石巻には今、日本中から愛のある人達が集まっています。そう感じます。
五月五日は、こどもの日。
嵐のような風に吹かれて泳ぐ大家族の鯉のぼり。
いろんな街からやってきました。たくさんの人々の想いをのせて泳いでます。
生きてる人も、死んだひとも、天高くのぼれよのぼれ、鯉のぼり。
みんな元気でいてほしい。
モモコ&オザザ pm 23:09
2011年5月1日
以前、石巻で泥だしと炊き出しを4日間くらい行なって、今日ここに帰ってきたかほりです。
前に見たぬいぐるみがそのまま同じ場所に放置されていたり、まだまだやることがあるのだなぁと感じました。
今回参加したのは「祭チーム」。石巻の明神社で5月5日に例年行なわれるお祭りを、今年も行なうこと
になったので、そのお手伝いをするチームです。
この明神さんでは震災のとき、本殿のまわりに生えている木がガレキなどをせき止めて、本殿に逃げて
いた約200人は無事だったそうです。神さまに守られている感じがしました
今日は祭りを盛り上げるための看板やゲーム(輪投げなど)を、道端に放置されているベニア板や椅子など
を利用して作りはじめました。のこぎりを使って形づくり、ペンキを使って色をつける予定ですが、地元の
小学生などと一緒にできればいいなぁと思っています。
看板やゲーム作りは5人ほどで行ないましたが、神社を清掃したり、その過程を写真に撮って保存しようと
いう人がいたり、トイレを作っていたり、20人ほどのボランティアが祭チームとして動いていました。
祭り当日は地元のお母さんが炊き出しをしたり、たい焼き屋さんがきたり、鯉のぼりを泳がせたり、青空
マッサージや青空美容室ができたり、土俵で相撲大会を開催したり…などいろいろな計画があります。
毎年続いていた祭りですが、地元のみなさんは今年は開催されないと思っていたそうです。避難所では
子供たちは「おとなしくしなさい」とよく言われるそうですが、この日は思い切り遊んでほしいです。
青山かほり pm22:11
連休に入り、人が急増しています。朝のミーティングも部屋に人がぎっしり!
今日からブロードウェイ食堂に仲間入りしたよしくにさんの特技は、自転車をなおすこと。早速、自転車を
なおして欲しいという人がいて活躍していました。石巻では道路にクギなどが落ちているので、よくパンク
してしまうそうです。それぞれの特技を活かせていければいいなぁと思いました。
自衛隊さんの本日のメニューはスパゲティ。私たちはスパゲティを作ったことがないので、
避難所の方にとってはかなり久しぶりのスパゲティだったのではないかと思います。
よく来てくれるお母さん姉妹のメニューはヤマイモ梅肉和え。梅をつぶして、砂糖をたっぷり混ぜて、
ヤマイモと昆布(昨日だしをとった残り)を入れて。お母さんの味で、地元の方々も喜んでいました。
私たちも毎日楽しみにしています。
永久に完成しないのではないかと思っていた看板も、完成間近。校門に出していた看板を見てきてく
れたおじいさんもいました。避難所の雰囲気が明るくなっていけばいいなと思います。
中央公民館のほうは、一時仙台の実家に戻っていたマキさんが買って来てくれたなめこを使った
「なめこたっぷりのお味噌汁」。鍋のフタを開けた瞬間に、うわ?という嬉そうな歓声があがっていました。
なめこは宮城産のもの。ほっと温まる味でした。
かえ pm 23:06